産業と文化の往来によって
実現する新たな社会づくり
香りが記憶を呼び覚まし、湯気が心をほぐすひととき。そうした日常の豊かさは、単なる感覚以上の意味を持つ。ともに嗜好品を取り扱う事業を営むJTとTeaRoom。両者がこれまで行ってきた単なる消費物を超えた文化的価値の創出から、次の時代における産業と文化の関係性、そしてその先の社会のあり方について、新たな地平を紡いでゆく。
岩本
本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。私たちはJTさんと同じく、日本の「祖業」といえるものを扱う企業です。静岡の茶畑の承継からスタートし、自社で製造販売、いわゆる六次産業化をしながら、新しいお茶の世界を切り拓くために奮闘してきました。現在、お茶屋としては満足のいく成長ができたのですが、私たちは実はいま新たな問いにぶつかっています。
「企業は社会づくりに貢献することができるのか?」「企業は平和に向けた活動、文化創造活動ができるのか?」
これは深く大きな問いですが、実は以前JTさんの社員の方とお話した際に「美味しいたばこをつくる」だけではなく、「美味しいたばこを美味しく吸える社会をつくる」ことが大切だと伺い、大変感銘を受けたことがきっかけです。
お茶に置き換えても全く同じで、「美味しいお茶」を作っても、「美味しいお茶を美味しく飲める社会」がないとその価値は伝わらない。社会規範や物理的な場作りをしていかなければ、どれだけ良質なお茶をつくっても広がらない。その通りだと思いました。
岩井
こちらこそお越しいただきありがとうございます。たばこという嗜好品を扱っていると、いろいろな局面で「そもそも人間にとって必要なものなのか」という問いがつきまといます。しかし、たばこにはたばこなりに、長い歴史のなかで「人間同士のコミュニケーション」や「ひとときの安らぎ」を提供してきた側面があります。
一方で、時代の流れや科学技術の進歩とともに、たばこの「臭い」や「身体への影響」といった側面のみが問題視されるようになり、禁煙化が進む社会のなかで、たばこが果たしてきた文化的役割が失われつつある局面も見られる。その問題とどう向き合うかは、JTにとっても大きな課題です。
まさに「美味しいたばこを、心地よく楽しめる世界をどうやってつくるか」。お茶の場合も状況は似ていますよね。
「嗜好品」が提供する価値とは
岩本
おっしゃる通り、いわゆる嗜好品、たばこやお酒もそうですし、お茶もまた生活必需品とは言えない部分があります。ですが、だからこそ、人間の精神的な豊かさに関わると私は思っています。例えば、2030年以降、世界でもっとも深刻になる疾患が「うつ病」だという予測があります。AIやテクノロジーがどれほど進歩しても、人間の「心の健康」をどう保つか、そこが最大の課題になってくるとも言われています。
そうした課題に対して、例えばお茶の時間やたばこをゆっくり味わう時間、そこに付随するコミュニケーションや空間が救いになるかもしれない。私たちは、物質的な豊かさはすでにある程度手にしているわけですが、AIなどの効率一辺倒な社会に流されてしまうことで、かえって「心が満たされない」時代に向かっているように思います。

岩井
JTでも、今までは「たばこを売ること」「より美味しい製品を作ること」が第一でした。でもそれだけではもう通用しない。「美味しく吸う世界観」や「共存できる社会」を整えていかなければ、そもそもたばこの居場所が無くなる、という危機感があります。
これはお茶にもそのまま当てはまると思います。「ただお茶を作って売る」のではなく、そこにある文化や所作、心の落ち着き、コミュニケーションのきっかけなど、柔らかい部分をいかに含めていくか。私たちは新しいJTのパーパスを「心の豊かさを、もっと。」と掲げていますが、これはまさに、元々たばこが人々の心に提供してきた安らぎの本質を、新しい形で拡張していこうという意味で定めています。
お茶とたばこの、文化としての役割
岩本
私たちは静岡の茶畑から出発して、海外へも積極的に展開しています。例えば、ウィーンで開催したお茶会ではハプスブルク家の方々が参加してくださるなど、外交の数多くの場面でも、茶会を通してお茶の価値を証明することが出来てきました。
また、お茶会には工芸や、花、お菓子など、周辺のたくさんの文化要素が伴います。そこにお金が動き、経済効果が生まれる。すると産業の下支えにもなるし、さらに文化が深まる。
そういう形で「美味しいお茶を美味しく飲める文化」を世界に広げていくには、まずは「お茶の意味性」を伝えられる場の創造をし続けることが鍵だと思っています。これはたばこにも通じることですよね。

岩井
たばこにも、本来はコミュニケーションの媒介としての意味や、「間」を楽しむ価値があった。どこでも無遠慮に吸うのではなく、吸う人と吸わない人がお互い気持ちよく暮らせる空間をつくる。そこまで含めて「たばこの文化」じゃないか、と。
たばこ文化も元を辿ると、例えば、北米の先住民が儀式の場でパイプを回しあって、戦争後の和解に使うといった姿があった。たばこが単に「コモディティ」としてだけ見られるようになったのは、比較的、現代の大量生産・大量消費の流れの中で「シガレット化」してからではないかとも思います。
一方で、たばこを吸われる方の健康問題や吸われない方に対する望まない受動喫煙などの課題もある中、何も考えずに「昔は良かった」とは言えませんが、たばこの良さや価値を未来に繋げていくには、マナーや空間づくりを強化するしかない。JTの各支社でも、ただ製品を売るだけでなく、喫煙所の整備や、地域の皆様との共存を考えた地域活動など、いろいろなアプローチを試みています。
これは「心の豊かさ」という目に見えない価値を、お互いどうやって共有し合うかの試行錯誤でもありますね。
文化は衝突と交流から生まれる
岩本
私がいま進めている取り組みの一つに、「茶業界特化の情報プラットフォーム起点としたエコシステム形成」というものがあります。地場企業の静岡銀行さんなどと共同で、「日本茶産業をもう一度立て直すには」というテーマで推進をしております。
「お茶の単価が下がった」「高齢化が進んでいる」といったネガティブな話だけではなく、根源的な「価値」に着目し、その意味性を展開できる市場はあるのかと検討するポジティブな議論です。
お茶の楽しみ方を「価値」をベースに見直すと、例えば都市部から地方に移住し、古民家を改装して住むとしたら、ペットボトルのお茶を機能性を重視して飲むのではなく、自らの好みに合った道具やお茶を情緒的に飲むようになると思っています。どのような社会変化がお茶と相関するのか、新たな需要を生み出すのか、を定量化し、その変化を示す「先行指標」を把握することが、意味のある新たな流通を作る上で、鍵になるのではないかと考えています。

岩井
とても面白い着眼点だと思います。まさに嗜好品としてのたばこやお茶は、「効率」や「機能性」だけを追求しても広がらない。そこにあえて手間をかけたり、専門性を育んだり、道具や空間を整えることで心地よさを作っていく。例えば茶道には、同じ産地の道具をあえて揃えないという独自の美意識がありますよね。バラバラなものを絶妙に取り合わせることで一つの調和を生み出す。
俳句でいう「取り合わせ」や「つきすぎず、離れすぎず」という感覚に通ずると思います。そこに多様な文化同士の衝突や交流があり、その結果として新しい発想や美が生まれる。私もその考え方に強く共感しますし、たばこも本来は違う国の文化が交わって広まっていったはずなので、今後も何か形を変えてでも生き残っていくためには、「衝突と交流」の両方をうまく活かしていかなければなりませんね。
カルチャープレナーが拓く、「平和」を生み出す活動
岩本
歴史は繰り返すと言いますが、世界を見渡すと、戦争によって土地が荒廃し、それを投資対象として買い占めるような残念な動きもあります。ただ22世紀は「『文化を通じて平和をつくる』ような文化経済活動」こそが必要だと私は考えています。
「エシカル」や「ソーシャル」という文脈が十数年前から時間をかけて世の中に根付いてきましたが、課題を解決するビジネスが一般化した後は、明日を豊かに「cultivate(耕す)」する、「カルチャープレナー(Culture + Entrepreneur)」の存在が必要なのではないかと。私は、その発起人の一人として概念の提案をし続けています。ちなみに、その先は「ピースアントレプレナー(Peace + Entrepreneur)」と表現される時代がくるかもしれないと考えています。
先ほどもお話をさせていただきましたが、お茶は平和外交の場に持ち込むことができます。実際、各国の財閥や王侯貴族の方々と茶室で交流することによって、国境を越えた文化の共有やビジネスの機会が生まれている。たばこでも同様に、国を超えたネットワークがありますよね。争いを「破壊と再構築」に頼らず、カルチャーによって穏やかに繋げる手法は必ずあるはずです。

岩井
私もたばこの歴史を考えると、例えば先住民のパイプのように、本来は「平和の象徴」だったり「精神世界の共有」だったりしたと思うんですよね。JTとしてもグローバルに展開している以上、「世界中が安定して平和に交易できるほうが、結果的にみんなが豊かになる」という方針は全く揺らぎません。
おっしゃるように、今の時代は技術的には大きく進歩していますが、人間の心の持ちようや環境への配慮が追いついていない面がある。そこを企業が率先してカルチャーづくりに投資していくことが大事で、単に利益を追うのではなく「平和をつくる起業家」としての使命感を持ちたいですね。
日本という国で生まれた「いま」と向き合う思想
岩本
TeaRoomでは、海外のお客様を日本に招いてお茶会を開くことも多いです。世界的なメディアの編集長たちがくることもあれば、スポーツ選手やインフルエンサー、世界的な財閥系企業のご家族がいらっしゃることも。その時には必ず、なぜ日本が「日本文化」と言われる思想を獲得してきたか、というお話をしています。
日本は自然災害の多い国。世界の約1/5もの大地震がここで起こります。いつ死ぬかわからない、そんな「fragile(弱い)」な国なのです。だからこそ私たちは世界で一番「『いま』と向き合う」ことに真剣になる。「一期一会」という言葉や、季節を分ける「二十四節気」「七十二候」にも表れています。言語としても、朝を「morning」と指す英語に対して、日本語では「夜明け前」という意味だけでも「曙」や「暁」という表現があります。この瞬間、「いま」と丁寧に向き合うその姿勢が、私たちの文化の土台となっているのだと。

そんなお話をすると、お茶会の終わりに、ある海外のお客様が「落ち葉ひとつにも意味があったのですね」と気づきをお伝えくださったりする。「いま」と向き合う思想を理解した先には、日常の時間も場所も人との出会いも、全て意味があるように見えてくる。茶会を経験する前には、単に「掃除されずに残る露地の落ち葉たち」だったものが、「私たちを優しく照らすような絨毯」にみえてくる。
自然災害が多い国だからこそ死がとても近い。だからこそ、生命の循環をそのまま受け止める発想が根底にある。分断が激しく生まれる世の中だからこそ、「いま」が当たり前にあることと真剣に向き合い、感謝する。こうした日本独自の自然観や振る舞いが、海外の方にとって「新鮮で心に染みる」という体験となるようです。
岩井
鈴木大拙の「禅」の研究などもそうですが、日本は大陸から入ってきた仏教や思想を、独自の感性へと昇華し、それをさらに茶道や俳句、絵画などに落とし込んでいった歴史があります。ただし、同じものをただ「型」として踏襲するのではなく、時代ごとの新しい文脈の中で、いかに「精神」を活かしていくかが重要ですよね。
日本の伝統文化も、実は幕末や明治維新のころに西洋の制度と衝突し、その過程で「日本のアイデンティティとは何か」を再定義する動きがありました。そういう「衝突と交流」を経て形作られたものが今の日本の文化なので、きっとこれからも時代とともに新しい発展をしていくと思います。
場の創造によって生まれる経済効果
岩本
私たちの会社は、はじめは茶畑や工場を承継するところから始まりましたが、おかげさまで国内外の多くの方々に価値貢献ができるようになりました。最近では、ホテルや商業施設に茶室や茶道具を納入させていただくことも多いです。タイの大手ラグジュアリーホテルグループが運営する京都のホテルや、江戸前鮨のトップを走り続ける鮨屋の海外店など、さらに、ウェルビーイング、メディテーションの文脈でも多くの実例が出来てきています。
場を創造することで、「器や花は?」「抹茶や和菓子は?」など、周辺のさまざまな産業が連動してくる。経済規模ではなく、経済効果を大きくする。利休さんの時代も、時代を変える影響力はこうして出来上がってきたのだと感じています。「美味しいお茶が美味しく飲める世界」を夢見て、その場を社会に実装し続けることで、文化的な側面だけではなく、経済的な相乗効果を生む装置としても機能するのではないかと考えています。

岩井
たばこの世界でも、単に「売り切り」をするのではなく、むしろ文化の側面から多角的な経済効果を発揮できる形に再編することが不可欠だと思います。江戸時代のキセル文化や、ヨーロッパの葉巻文化など、多様な楽しみ方の根源を現代に合わせてアップデートできれば、新しい市場や交流が生まれるかもしれません。
先ほどの例でいえば、お茶会や俳句の世界は非常に象徴的で、いくつかの要素を「衝突」させる取り合わせによって、美を創造する発想がある。たばこや嗜好品の世界にも、本来そうした「豊かな創造性」が眠っているはずです。JTとしてもその芽を育て、単なる機能やニコチンの話にとどまらないアプローチを模索したいですね。
対立を解き、衝突から新しい美を創造する
岩本
私たちも創業当時から「対立をなくしたい」と言い続けてきました。お茶は人と人、文化と文化を繋いでいけると信じてきましたが、当時は本当に何者でもない若者でした。事業すらなかったそんな時に、最初に私たちを信じて応援してくださったのが、実はJTさんでした。
単にプロダクトを作ってグロースするのではなく、本質的な事業展開をしたい。当事者として、産業と文化と向き合うからこその私たちに出来ることをしたい。当たり前に国を超え、世界に思想を伝えていきたい。そして、国益や世界の益にかなう企業でありたい。そうした信念をまっすぐに受け止めてくださいました。結果、あらゆる分野の人たちと対立するのではなく、「共創する道」を探ることができました。今の私たちがあるのは、そのJTさんの支えが大きかったと思っています。
岩井
こちらこそ、そういうお話を伺うと嬉しいですね。私たちもたばこというテーマでビジネスを続けながら、やはり「共存」とか「共鳴」みたいなことを実現するにはどうすればいいのかを試行錯誤し続けています。先ほどおっしゃったように、AIや自動化が進むほど、人間がほんのひととき「自分に戻れる時間」をどれだけ意識して作れるかが重要になる。
そういう時代だからこそ、お茶やたばこのような嗜好品が持つ「一瞬の休息と心の豊かさ」が見直される余地は大きいのではないでしょうか。ただ、それは自然には実現しないので、社会規範や仕組みづくりを意識しながら取り組む必要があると思います。
おわりに
岩本
本日は本当にありがとうございました。いつも岩井さんのお考えやご知見から多くを学ばせていただいております。本日もお話をさせていただき、さらにご一緒できる領域が多く潜在していると感じました。文化を育てるうえで時間や手間をかけることは避けては通れませんが、短期的なコストと捉えず、中長期的な投資として考え、信じ続けることが必要だと思います。今後も、お互い知恵を出し合いながら「お茶」と「たばこ」に共通する嗜好品の本質、そして「心の豊かさ」を重視する社会を広げていけると嬉しいです。
岩井
こちらこそありがとうございました。私たちも「たばこ一本で何ができるか」を超えて、もっと多様なアプローチを模索していきたいし、お茶業界が挑戦している文化的な展開や戦略はとても刺激的です。嗜好品としての奥深い価値や、そこから派生する文化資本の可能性を活かしていくためにも、一緒に考えられたら心強いですね。今後ともぜひ情報共有させてください。

Photo
Shunichi Oda