味わいとともに
人が豊かに生きるまちへ
街は、ただの建物の集合ではなく、人が集い、記憶を刻み、文化が育まれる場。そこに息づく空気や体験こそが、まちの本当の価値を形づくる。東京建物は単なる都市開発ではなく、社会課題に向き合い、場による価値創造から新しいまちづくりを模索してきた。その一環として、八重洲エリアの開発では「食」に着目して、お茶の文化も取り入れている。まちはどう変わるのか。その可能性を探る挑戦が、ここから始まる。
岩本
本日はお時間ありがとうございます。本日はよろしくお願いします。まず沢さんご自身についてお伺いします。いわゆる「デベロッパー」としての働き方の枠を超えて、「一般社団法人TOKYO FOOD INSTITUTE」の代表として「食のDX文脈」での新しい連携を行ったりと、最先端をリーチしている印象です。どうしてこうした活動をされているのでしょうか。
沢
よろしくお願いします。かなり抽象度が高いテーマで、どうまとめるか悩ましいですね。
正直、最初から大きなビジョンを掲げて逆算してきたわけではありません。東京建物というデベロッパーとして、東京駅前の「八重洲一丁目東地区市街地再開発事業」を担当していたのですが、250メートルを超える大きなビルを単体で開発しても、これからの時代は「選ばれる建物」になるのは難しいだろうと感じたんです。周辺の街全体も一緒に盛り上げてこそ本当の価値を提供できる、そう考えたのがきっかけでした。
岩本
大きなビルを建てて終わりではなく、街ごと包括して考える必要があったんですね。
沢
ちょうど会社としても「次世代デベロッパーへ」というスローガンが打ち出されていて、そこでは「企業としての利益追求だけでなく、社会課題の解決に本気で取り組む」というメッセージが出されたんです。
不動産会社が社会課題に向き合うのであれば、まちづくりを通じてアプローチするのが筋だろう、と。私が八重洲の担当として「街全体で社会課題にどう取り組むか」を考え始めたタイミングと、会社の方向性が重なったので、それを足元の八重洲や日本橋、京橋エリアで実践してみようと。

八重洲・日本橋・京橋エリアではじめる「食」の取り組み
岩本
八重洲、日本橋、京橋といえばオフィス街のイメージが強いですが、そこで「食」を軸としたまちづくりを進めようと考えられたのはなぜでしょう。
沢
歴史を遡るとこのエリアは、実は「食の街」なんです。日本橋はかつて魚河岸があり、京橋には青物市場があって、築地ができるまでは数百年にわたり、江戸の中心的な「食の集積地」でした。今でも老舗の飲食店や大手の食品メーカーさん、味の素さんや明治さん、亀田製菓さんが集積していて、「食」の文脈が強い。それをまちづくりに生かし、「社会課題解決」を掛け合わせれば面白いんじゃないかと思いました。
この構想は、2017、18年ごろには動き始めていて、当時は「フードテック」という言葉が、日本ではまだあまり言われていない時期でした。海外だと2015年頃から投資が増え、日本は5年遅れていると言われていました。そこで、これから伸びる分野で、市場性も大きいだろうと。また、「食」は気候変動や水不足等の様々な社会課題と密接な繋がりがあることも重要な要素でした。
さらに、オンラインで完結するサービスだと不動産側の存在意義が薄れる懸念がありますが、食べ物ってやはり「リアルな場」が必要ですよね。VRではお腹は満たせないですから。

「フードラボ」からはじまる新しい出会い
岩本
一方で、「食を起点に社会課題の解決を目指すこと」に対しては、社内外の賛同を得るのは難しかったのではないでしょうか。その時は、まだ世の中でも「食×デベロッパー」の事例ってあまりなかったと思いますし。
沢
最初は社内でもなかなか理解を得られず、どうやってデベロッパーがそれを実現するのかと疑問を持たれましたよ。外部にも色々と声をかけましたが、地方物産展を行う程度のイメージで捉えられたり、逆に「最先端のフードテックと食の伝統を掛け合わせる」って本気なのか、という声もありました。
ちょうどそのタイミングで、植物工場を手掛ける「プランテックス」さんが植物を栽培する機械の移転先を探していたので、1階に植物工場、2階にグランメゾン並みの厨房設備を入れて、そこを「フードラボ」と呼ぶ、いかにも「テクノロジー×食文化」を体現する拠点をつくることにしたんです。
岩本
実際に形ある拠点ができると、「本当にやるんだ」と具体的に示すための象徴にもなりますものね。そこで周囲の反応は変わりましたか。
沢
一気に変わりましたね。「本当にやってるんだ」と認識されて、多くの方が見学に来るようになりました。そこで、多くの食のプロフェッショナルとも繋がり、面白いと言ってくれるようになりました。
「フードラボ」を立ち上げてようやく、机上の空論じゃないんだと思ってもらえたと思います。そこからイベントやカンファレンスの登壇と発信を続けていくうちに、学生や企業との連携や新しいコラボがどんどん生まれ、リアルな場で実験的な取り組みも出来るようになっていきました。
未来を見据えて、食と地域との連携に向き合う
岩本
ご自身が代表理事を務められている「一般社団法人TOKYO FOOD INSTITUTE」を立ち上げられたのは、どういった背景があったのでしょうか。
沢
東京建物という会社の枠組みだけだと、企業によっては「特定の企業だけと組むのは難しい」と、しがらみを感じることがありました。それなら、社外でも活動できる器があった方が身軽に動けるし、本気度も伝わるだろうと。理事には、メーカーやアカデミア、メディア、飲食店プロデュースなど様々な分野の方に参加してもらい、幅広い視点を持つ組織としたんです。
社団法人の名で活動すると、色々なところから一緒にやりましょう、と声がかかるようになりました。例えば、経産省のプロジェクト「地域DX促進活動支援事業」など、公の事業とも連携しやすくなったのは大きいですね。

岩本
実際に、私たちとも、社団法人を通じて出会いましたものね。
沢
今回、経産省のプロジェクトで農家さんにアプローチしようと思った時に、生産者の現場に行くネットワークが必要になりました。そこで、DXに前向きな生産者さんを知りたいと。TeaRoomさんは、お茶の産地との繋がりが深く、現場の課題意識も把握されているので、とても心強いですね。
伝統産業としてのお茶をしっかりと捉えつつ、新しい視点も積極的に取り込んでいるところが素晴らしいと思っています。生産者の課題を踏まえ、文化や地域を支えながらビジネスとして成り立たせる仕組みを考えている。また、グローバルにも視野を広げているので、既存の慣習にとらわれず新しいコラボを積極的にやっていこうとしていますよね。
お茶に対する熱い想いと、そのフットワークの軽さがとても頼もしいですね。
岩本
嬉しいです。ありがとうございます。
日本で目指す「ウェルビーイング」と「リジェネレーション」の形
岩本
TeaRoomとは、八重洲の再開発におけるオフィスワーカー向けのサービスのひとつとして「オフィスで茶の間」をご一緒させていただいています。八重洲プロジェクトにおいては「ウェルビーイング」が大きなテーマになっているんですよね。
沢
そうですね。そして、実は「ウェルビーイング」に加えて、さらに「リジェネレーション」という概念も入れ込もうとしているんです。
サステナビリティが「マイナスをゼロに戻す」のだとしたら、リジェネレーションは「ゼロをプラスにしていく」という考え方。経済と環境の両立だけではなく、文化や人々の豊かさなど、多元的に価値を高めていこうという発想なんです。

岩本
従来の経済効率とは別の物差しで「まちづくり」を捉えるわけですね。
沢
例えば「ウォーカブルシティ」といって、車の流入を制限して歩くまちづくりを進める動きがありますよね。歩くことって、経済効率だけで見ればロスかもしれない。でも、健康面や街への愛着、社会的な繋がりの増加など、プラスもたくさんある。「リジェネレーション」とは、こうした多様な価値を重視する発想なんです。
岩本
それをまちづくり全体と連携して実践するのが「八重洲プロジェクト」でしょうか。
沢
そうですね。東京は、今後グローバルな都市間競争に直面していく中で、ウェルビーイングや社会課題解決を本気でやっている街だと評価されることで、優秀な人材や企業が集まっていくことになると思っています。その中で、人が「ウェルビーイングな状態で過ごせる社会」こそが、変革を生み出すベースになると考えています。そのため、「八重洲プロジェクト」では、多様な価値を重視するリジェネレーションの思想の中でも、人々のウェルビーイングに特に注目して取り組んでおります。
「オフィスで茶の間」から始まる、お茶の在り方
岩本
「ウェルビーイングな状態で過ごせる社会」をつくっていくことに、お茶やTeaRoom社の取り組みが結びつき、現在、八重洲のオフィスビル内のワーカーに向けたお茶の取り組みをさせていただいています。
沢
ウェルビーイングの一要素として「自分のライフスタイルや好みに応じて選択が出来る」というのは大きいですよね。オフィスには、コーヒーや水はあるのに、急須で淹れた「本物のお茶」は意外と選択肢がない。日本にはお茶の伝統があるのだから、ペットボトルだけではなく「気軽に美味しいお茶を飲める環境」があってもいいじゃないかと。

岩本
しかも、お茶を淹れると人とのコミュニケーションも深まりやすいですよね。
沢
そこなんですよ。お茶を注いだら「ありがとう」と言われ、雑談が生まれ、感謝する文化が生まれる。社内コミュニケーションを活性化したい企業さんも多い中、お茶を介したリラックスや空気感が仕事の生産性も高めていきます。
さらには、家族や友人と一緒にお茶を飲むことで、精神的なつながりや和合の心を大切にしてきた、日本で育まれてきた精神性や文化を未来に受け継ぐことや、生産者さんの支援にもなります。それこそ「多元的な価値」が集約されているなと改めて思いました。
岩本
なるほど。オフィスでお茶を飲む「オフィスで茶の間」という活動自体が、リジェネレーションの思想にぴったり合っているということですね。
沢
はい。実際に急須で淹れるお茶が普及すれば、日本のペットボトル飲料文化にもプラスに働くと思うんです。急須の価値が残るから「急須で淹れた味わいをペットボトルでも」というコンセプトが生きてくる。
最終的には「オフィスでお茶を淹れるのが当たり前」という状態になれば最高だと思います。日本中、さらには海外でも、オフィスワーカーの選択肢にお茶が当たり前に入ることで、伝統産業を支え、新たなウェルビーイングを示すモデルにもなります。
岩本
八重洲で始まったムーブメント、まさに、東京建物さんの「八重洲モデル」として世界に広がっていく姿が見れたら、かっこいいですね。

おわりに
沢
八重洲は、単にビルを建て替えるだけじゃなく、こういう人間的な価値や社会的な価値を積極的に実装していく意義がある場所だと思っていますし、そこから世界に発信していくというのは面白いですよね。
岩本
確かに、ドバイのようにゼロから新たな街を作るのではなく、既存の大都市にどう「ウェルビーイング」や「リジェネレーション」を実装していくか、という方が参考になる地域は多いですよね。
沢
そうなんです。八重洲からいい手法が見つかれば、ニューヨークやロンドン、パリなど既存の歴史を持った都市にも展開できると思うんですよね。
岩本
本当にワクワクするお話でした。本日は貴重なお時間をありがとうございました。大きなアセットを活かして新しい価値を生み出すというのは本当に面白いですし、こういった八重洲モデルがどこまで広がるのか楽しみです。
沢
こちらこそありがとうございました。私自身はまだ手探りの連続ですが、「まず形にしてみる」ことの大切さは学びました。フードラボを作らなければ今のネットワークも生まれていませんし。また、「オフィスで茶の間」という取り組みがどこまで広がるか、ワクワクします。これを機に東京や日本全体が少しでも「ウェルビーイング」に近づけば嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。
Photo
Shunichi Oda